ペリドットと人間が学んだ好奇心の大切さ
紫の生き物と人間の距離は、日々少しずつ縮まっていった。1週間が過ぎる頃には、キーは明らかに成長し、体も大きくなっていた。そして人間は考えた。もうすぐキーがもっと大きな仕事を手伝ってくれるだろうと。その時まで、人間は自分で歩き回るのは、せいぜい森の端までの狭い範囲までと決めていた。しかし、食料が乏しいので、人間は1人で自分の住む森を離れて、実り多い土地を探すことにした。
人間はキーに1匹で過ごすように言って出ていったが、キーはすぐに退屈してしまった。一緒に遊ぶ相手がいなかったのだ。リスは森にある他の木に引っ越してしまっていたし、ハチドリが蜜を食べに来る花もこの辺りにはなかった。紫の生き物は空中で何度か回転してみたが、1匹で目を回していてもつまらないので、しょんぼりしてやめてしまった。
我慢できなくなったキーは、人間の後を追いかけて行こうかと思ったが、人間が北に向かったのか南に向かったのか、東だったか西だったか思い出せなかった。そして結局、あてずっぽうの方向(それは東だった)に向かって、泥とゴツゴツした岩だらけの道を歩き始めた。
夜が近づくにつれ、紫の生き物は怖く不安な気持ちになってきた。見知らぬ森の中で、迷子になってしまったのだ。暗闇の中でひとりぼっちになったのは初めてだった。そもそも、ひとりぼっちになったのも生まれて初めてだった。引き返そうにも、来た道は闇に覆われてしまっている。声が出せないので、助けを呼ぶこともできない。樫の大木を見つけて身を寄せ、迫りくる夜の闇に震えることしかできなかった。
空腹と寒さで、どうやって夜を乗り切ればいいかキーにはわからなかった。恐怖は急に薄れ、脱力感が体を支配した。眠りたかったが、眠れるほど疲れてはいなかった。単純な動作に、普段の倍の時間がかかるようになった。そしてだんだんと、3倍、4倍の時間がかかるようになった…
希望を失いかけたその時、遠くからキーを呼ぶ声がした。朝が来て、森のはずれから樫の木まで、一直線に朝日が差し込んでいた。人間はそれをたどって、木の曲がりくねった溝に寄りかかった紫の生き物のところまでたどり着いたのだ。人間は親友である紫の生き物を優しく抱き上げると、心が安らぐようなメロディーを優しく口ずさみながら、紫の生き物が安心し落ち着くまで左右に揺らした。
ペリドットは愛おしそうに人間を見つめていたが、脱力感がまだ重くのしかかっていた。人間は森の外で取ってきた昆布やトゲのあるビーツを差し出したが、キーは食べようとしなかった。人間がお腹をなでてやるとにっこり笑ってベリーをいくつか食べたが、やはり食欲も元気もないようだった。
人間はキーを胸にしっかりと抱いて、急いで焚き火のそばへ戻り、昼も夜もつきっきりで看病した。キーが欲しがる食べ物を何でも与え、飲み込めば頭をなでてやり、決してそばを離れなかった。一生を共に過ごす存在、それが紫の生き物が見た人間の姿だった。人間は仲間であり、守り手であり、親友だった。
ある朝、ガサガサという音で人間は目覚めた。茂みの中から狼か熊か、獣でも現れるのかと身構えたが、出てきたのはキーだった。キーはすっかり元気を取り戻し、元通りの笑顔を見せていた。キーはネギを持っていて、それを親友に差し出した。人間は、もちろんそれを1人で食べたりはしなかった。キーもお腹が減っていると思ったからだ。人間はネギを半分にして、1つを親友に渡し、残った1つを自分で食べた。
ネギの苦味のせいか、人間の目から少し涙がこぼれた。彼は喜びとネギのせいだと紫の生き物に言い聞かせた。
筆者による解説:
なぜ紫の生き物がそんな状態になってしまったのか、当のペリドットにも、その友人である人間にもわかっていなかった。しかし、他のペリドットも、人間と長い時間を過ごす中で、まれに元気がなくなることがあった。その共通点は、ペリドットの親友である人間が世話を怠ったということだ。人間が世話をしなくなれば、ペリドットは生気を失ってしまう。そして、人間が完全にペリドットを見捨ててしまえば、さらに悪い結果を招いてしまうだろう。
ティリオン時代(紀元前700年頃)にペリドットの長老たちが取り決めたように、ペリドットの好奇心を刺激し続ける豊かな環境を保たなければならない。それなしではペリドットは子孫を増やすことができず、多様化も望めない。好奇心とは、ペリドットの世界のバランスを保つ不思議な魔法の力なのだ。それは世界に幸福をもたらし、そこに住む人々をさらに幸せにする。好奇心は人間が極度に関心を失った結果の困難な時代に無くなり、世界が最大の困難を乗り越えた時に再び現れるのだ。偉大な思想家たちは、好奇心を人間が持つ集団意識の一種だと考えている。人間が他者(他の人間や別種の生き物)に対して多くを与えるほど、その他者は種としてより速く進歩することができる。
この集団意識はまた、逆の効果をもたらすことも知られている。もし人間がペリドットの世話を完全にやめてしまえば、ペリドットという種全体が何世紀にもわたる集団冬眠に入ってしまう!私たちの目の前にいるのは、そんな繊細な生き物たちだ。そのことをよく考えて世話をしなければならない。
これを読んでいる者へ、これを書いている間も、筆者はこの好奇心というものを掴みかねている。古のペリドットの長老たちに賛成も反対もできない。しかし、精神的な世界に対する私の知識は、物質的な世界に対する知識と同じく、限られたものにすぎない。今のところ、好奇心の持つこの力を科学で説明することはできないが、それでも私はその力を信じている。ペリドットたちを信じるのと同じように。その存在は私を戸惑わせもするが、説明のつかないものには大きな喜びがある。謎は謎のままにしておこう。私がこの生き物に見出す喜びは、尽きることを知らない。
–FDS